心屋氏の言うとおりにしてたら、ただのワガママになっちゃうよ
先日、フォローしているTwitterアカウント、黒猫ドラネコさん@kurodoraneko15がリツイされたツイートで、心屋仁之助氏の「ママの歌」とかいう歌を聴きました。
終始、鳥肌と吐き気でした。
大体、カウンセラーがギター持って歌ってる時点で鳥肌ですが、その歌の内容が、
子供たたいていいよ
しつけできなくてもいいよ だって無理だもん
という、この文面だけ見たら「はぁ? 何言い訳してんの? 甘えんな!」と言いたくなるような内容で。
でもこれって、クライアントから求められていることがこういう内容だから歌ってるんですよね?
これって、間違った自己肯定ですよね?
そもそも、私がこのブログを書こうと思ったきっかけはそれでした。
心屋氏や子宮系界隈はよく知りませんでしたが、アメブロにうじゃうじゃいる自称カウンセラー界隈も、自己肯定、大好きなんですよね。
なぜなら、もともと自信のない人たちの集まりだから。
若いころから何かに秀でていて、一つの道に突っ走っていて満たされているような人は、こんなものに引っ掛かりません。
このようなうさんくさいものがなぜうさんくさいのか考える頭を持っているからです。
ところが、一般的でごくごく凡人な人たちは(私もですが)、悩みます、迷います、人と自分を比べて自信を無くします。
そこで、「あなたはそのままでいいよ、そんなに自分を責めなくていいよ」と言ってくれる存在に傾倒します。
自分を甘やかしてくれるのですから当然ですよね。
そのままでいいよ、なんて普通に生きていたらなかなか言ってもらえるものではありません。
もっとがんばらなきゃと自分を責め続けてきた人にとっては、とても救われる言葉なのでしょう。
しかしですねぇ、自己肯定というのは、自分のやってることを全部正当化することじゃないんですよ。
どうもこのうさんくさいカウンセラー界隈はその辺誤解なさっているようで。
自己肯定って、そのままの自分を受け入れつつ、ダメなところに目を向けて成長していくことだと思うんですよ。
なので、心屋氏のブログに書かれていた、子供に暴力をふるってしまうんじゃないかと思って自分を怖がっているお母さんに対して、「叩いてもいいよ」って、暴力はダメだろってのはもちろんなんですが、
そもそも、クライアントの悩みを解決してないじゃん。
って思うのですよ。
私はカウンセラーではないので、どう答えるのが正解か分かりませんが、このお母さんは、自分の犯しそうな罪に事前に気づけているじゃない。
それで助けてほしくて誰かを頼っているんじゃない(頼る人が間違ってますが)。
世間の皆さんは「虐待を助長するなんて!」と子供への暴力の方を大きく騒いでいますが(もちろん暴力は以ての外です)。
私は、このお母さんを救うチャンスだったのに、何てことしてくれんだと思いました。
てか、あんたカウンセラー名乗ってんのにそこ気付かないの?
殴ってもいいよ、と言われたら、一瞬は気が晴れるかもしれません。
私のこの感情は間違ってないんだって安心するかもしれません。
でも長い目で見たら、このお母さんはずっと苦しむことになるでしょう。
手をあげてしまったこと、子供を殴るということを肯定してしまった自分の罪に一生苦しむことになるでしょう。
カウンセラーが新たな苦しみを与えてどうするんでしょうか。
あとあれですね、冒頭の心屋氏の歌の中に「だって〇〇だもん」とあるのが非常に気になりますね。
いや、「だって」って、いい大人が使うものじゃないですからね。
あれ、夕ご飯できてないの? だって時間がなかったんだもん。
子供泣いてるよ? だってあやせないんだもん。
パート行かないの? だって仕事できないんだもん。
子供殴ったの? だってイライラしたんだもん。
心屋氏のクライアントの皆さんは、こんな日常を送ってるんでしょうか?
これ自己肯定じゃないですよね、ただのワガママです。
やりたくないこと、できないことを努力しないで済む免罪符です。
できない自分を正当化するな!!
世の中に「だって〇〇だもん」などとのたまう女性が増えたらたまったもんじゃありません。
頼むからこれ以上世間に放流しないでくれwと思います。
間違った自己肯定の話、心屋氏の件に比べたらパンチは弱いですが、実体験があるので次回それを書きます。